ktkjsnv6のブログ

KAT-TUNと関ジャニ∞とSnowManとV6をこよなく愛する人の話

赤西仁の脱退

KAT-TUNを語る上でどうしても避けられないのは

脱退である。

 

2010年、赤西仁の脱退。

デビューしてすぐ、留学に行った時に正直このまま帰ってこないんじゃないか?と考えたことがあったから、あまり驚きはしなかったと思う。

 

ただ、KAT-TUNのツアーに参加しないと発表されて、脱退報道が出るも、事務所が否定したにも関わらず、ジャニウェブで自分のブログで発表したのを今でも覚えている。

あの時は、いろんな情報が一気に入ってきて、パンクしそうだった。

ツアーは嬉しいけど、5人なの??

アルバムは???なんて思ってたら脱退だった。

 

6人が大好きで、6人を応援してたから素直に寂しかったし悲しかった。

けど、彼は一番顔や態度にすぐ出てしまう素直なタイプ。

ずっとファンしてたらそんなことすぐわかる。

やっぱりか。と。

KAT-TUNは仲が良いとは言い難いグループで、

友人からもKAT-TUNは仲悪いよねとよく言われたし、不仲なんてもうずっと出てる。

聞き飽きたくらい。

それでも私は6人がよかった。好きだ。

6人が集まった時の力は今考えても負けるものはないし、ワクワクさせてくれる。

本当に最強という言葉が似合うグループだ。

ライブは特に最強だった。

ドームをデビューしたてであんなに使いこなすグループいるか?

8日連続東京ドームって当時まじ意味わからんやった。

KAT-TUNの誰でもちょっとしたことで

すぐにNEWSになるし、

みんながKAT-TUNというイメージ、カラーを背負っていた。

それがブレないのがもうかっこよかった。

 

赤西さんの脱退は辛かったけど、彼の音楽とか、態度とかいろんな面を含めると、

お互いのための決断だったと今なら思う。

 

彼の言った方向性の違い。これが本当にしっくりくる。

 

今でも彼のライブに足を運んでいるが、

ほとんど英語の歌詞や、演出、ダンサーなど、やっぱりグループではできないことを楽しそうにしているから、これで良かったとその度に思う。

 

仁くんへ

あなたのいたKAT-TUNが大好きでした。

仁亀で引っ張ってくれたKAT-TUNは誰にも負けないというオーラが凄くて、沢山のいろんな世界を見せてもらいました。

ありがとう。

聖中丸仁の掛け合いが大好きだったし、

亀とのハモリが大好きでした。

今では6人のKAT-TUNは幻だったんじゃないかって思うくらい儚くて今じゃ考えられなくて、あの時代はすごかったなと思います。

6人でいれば大丈夫って思ってたんだけど。

ソロになって聞いたあなたの歌声は変わってなくて、安心しました。

私は赤西仁の作る曲が好きです。

これからも才能を活かして色んな驚くことをしてください。

あまりハメを外さないようにね。

 

KAT-TUNの6人は私の青春です。

そしてずっと語り継いでいきます。

 

また機会があれば、ライブ見にいきます。

KAT-TUNのAが赤西仁で良かった。

 

ありがとう。

 

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KAT-TUN亀梨和也との出会い

亀梨和也という男に心奪われたあの日のことを今でも鮮明に覚えている。

あの時の衝撃は私の人生で一番の衝撃で、後にも先にも超えるものはないだろう。

今思い出しても心臓がドキドキして、ワクワクする。

 

あの日は、2005年1月15日土曜日。

当時13歳の私は祖父母宅で夕食を家族で食べていた。

ご飯も食べ終わり、そろそろ帰ろうという時に

新ドラマが始まった。

シリーズ物のようだが、私は前作を見ていなかったので、見ずに帰りたかったが、両親が見始めてしまったため、私もなんとなく見た。

それが、伝説のドラマ『ごくせん2』である。

 

え?ヤンキードラマ???

小池徹平ヤンキーなの?可愛い!!

もこみちも小出くんも出てる!!!

ヤンキーみんなイケメンじゃん!!!

なんだこれ???

 

とすぐに引き込まれた。

 

それにしても、このリーダー格の生徒は初めて見るけど

顔が1人ズバ抜けて整っていないか??

こんな俳優が日本にいたの??

 

なーんて思いながら見ていた。

 

そして、

不登校の小田切竜という生徒の初登場シーンで、

私は雷が落ちたという表現が正しいだろう

 

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待って待って待って

胸が苦しい…………

心臓の音がやけに大きく聞こえる……

 

多分、私はこの人のことが好きだ

そしてこれが運命の人というやつか……

この人と結婚するんだ

 

様々な感情が一瞬で駆け巡り、

自分自身がわけわからなくなった。

そして結婚という今考えればアホみたいな考えまで至った。

あの時は真剣にそう思った

 

そこから、友人に彼の名前を尋ねたら、

「赤西くん?亀梨くん?私は赤西くん派だなー」

と言われ、私はこの想い人の名前を知ることができるという高揚感からか、

あまり聞き取れず、しかもどちらがどっちか分からず、

 

〔あの方の名前はあかなしくんと言うのか〕

 

と1週間くらいあかなしくんだと思っていた。

我ながら残念すぎる……

 

ジャニーズJr.の6人組KAT-TUNというグループも初めて知った。

 

当時はSNSは当然ないし、携帯電話も持ってなかったので、パソコンで情報を調べまくった。

初めてドル誌というものを買って穴が空くほど読みまくった

交換ノートにもKAT-TUNの切り抜きをたくさん貼った

毎日学校終わりに友人宅へ行き、KAT-TUNのライブDVD『海賊帆』を見た。

 

知れば知るほど亀梨和也、そしてKAT-TUNの沼に落ちていった。

初めての底知れないこの感情に戸惑いと喜びを知った

この世にこんなにも素敵な感情があって、毎日が楽しくてキラキラして楽しかった。

 

そして、ごくせん2の放送中から、

KAT-TUNの人気が凄まじく、毎日仁亀の話は学校で話題になるし、

テレビでKAT-TUNを見ない日はなかった

Mステにはデビューしていないのに2週連続で出演。

しかも、Mステはテレビ朝日なのに、日本テレビごくせんの教室から、中継で出演するという伝説も残した。

デビュー前のKAT-TUNのMステの出演は12回もあるらしい。

意味わからん。

バラエティ番組にレギュラーで出るし、

ドラマには引っ張りだこだし、バレーサポーターになるし、

スペシャル番組たくさんあるしで本当にあの頃のKAT-TUNは休みがなかっただろう。

意味わからん。

 

そして、KAT-TUNのデビュー前にもかかわらず、

亀梨和也山下智久でデビューした

青春アミーゴ」はミリオンヒット。

意味わからん。

 

もうKAT-TUNの勢いは、日本中の皆さんが感じていたのではないか?

 

全国ツアーもしてくれて、奇跡的に福岡の公演に入れた。

本当に存在しているんだと終始泣いていた。

 

 

そして、2006年3月22日デビュー。

 

デビューが決まった日の朝は両親に叩き起こされて知った。

すぐに友人に電話し、喜びを分かち合った

 

シングル、アルバム、 DVD同時発売。

意味わからん。

しかもアルバムはベストアルバム。

意味わからん。

 

てか、デビュー前のオリジナル曲ありすぎ。

意味わからん。

 

KAT-TUNは意味わからんことばっかりやってた。

 

あの頃のKAT-TUNは無敵で

後にも先にも超える者は出ないだろう。

 

伝説のグループだ。

 

私はそんな伝説のグループを今でも応援している。

KAT-TUNは私の青春の全てで、生き甲斐だ。

同じ時代に生きることができていなかったらと考えるだけでゾッとする。

 

私の大好きな曲で『Lovin'U』という曲がある。

この曲の歌詞に

 

〔俺がこの世に生まれたのは君に出会うため〕

 

この部分が大好きだ。

そして、まさにこれは私の気持ちを表している。

 

 

 

 

 

 

 

ジャニーズとの出会い(亀梨和也に出会うまで)

ジャニーズに魅了されて、どれくらい経っただろうか?

今やジャニーズは私の生活で欠かせないものであり、生きる源である。

私のジャニーズの歴史はどんなものなのか、当時の感情や、思い、忘れたくない記憶などを記録しておきたいと思い、ブログに綴ることにした。

ただの自己満のブログである。

ちなみに今私はKAT-TUN関ジャニ∞Snow Man、そしてV6の応援をしている。

 

私が初めて憧れを抱いたのは、今から約23年前1996年だと思う。

当時5歳の私は、女の子が遊ぶようなおままごとが苦手で、男の子の友達と鉄棒したり外で遊ぶのが好きだった。

当然好きなキャラクターはセーラームーンとかではなく、戦隊モノばかり。

従兄弟が男が多いということもあり、ウルトラマンをよくみていた。

そして、その頃放送されていたウルトラマンこそがV6の長野くんが演じるウルトラマンティガだった。

ウルトラマンの中ではウルトラマンA(エース)が好きだったのに、ウルトラマンティガがかっこよくて、毎週見ていたのを覚えている。

とにかくかっこいい。

強いし、確か変身したら色が3色くらいパターンがある、当時としては珍しく新しいタイプのウルトラマンだった。

そして、その中に入っている人が当然ティガだと思っているので必然的に主人公役の長野くんもかっこいいと思っていたに違いない。

しかしながら、その頃ジャニーズの長野くんという認識は全くなく、ティガの人という印象しかなく、放送終了して心にずっと思っていたのはティガだったため、ちょっと違う気がする。

 

初めてジャニーズのアルバムを手にしたのは、

KinKi Kidsの『C album』である。

1999年8歳のクリスマスにサンタさんから届いた。

別にうちのサンタさんはKinKi Kidsのファンではなく、未だに何故そのアルバムが届いたのか謎である。

しかし、そのアルバムはめちゃくちゃ聞きまくった。

フラワーが特に好きで確か9曲目で毎回9から聞いていた気がする。

私のジャニーズソングデビューはKinKi Kidsであることがわかる。

しかしこちらもジャニーズとしての認識はまだしていなかった。

 

そして、ついに本格的に認識したのは、

2000年9歳の時に放送された『涙をふいて』

に出演していた嵐の二宮和也であった。

初めてテレビドラマを見たのも確かこのドラマで、

毎回号泣したのを覚えている。

そして、主題歌が『感謝カンゲキ雨嵐』で、

その曲が入っている嵐の1stアルバムをお年玉で買った。

今でも嵐で一番好きな曲は?と聞かれたら、

『感謝カンゲキ雨嵐』である。

テレビで今でも披露されたりするから、嬉しい。

そこから、好きな芸能人は二宮和也と答えるようになる。

特に行動にはおこさず、かっこいいな。と思うだけの日々。

そこから、『よい子の味方』を見て、櫻井翔に変わる。

小学生時代は基本的に嵐が好きだった。

 

初めてのジャニーズライブデビューは

2002年11歳SMAPの『SMAP '02 "Drink! Smap! Tour"』である。

友人とそのお母さんに連れて行ってもらった。

ライブというものが初めてだったし、テレビに出ている人を観れることに興奮したのを覚えている。

セトリなんて全然覚えていなかったけど、今見たら、めちゃくちゃ名曲劇場だ。

タイムスリップしてもう一度行きたい。

友人、友人の母、友人の母の友人(ややこしい)、私の4連で行ったのだが、

友人の母の友人が木村拓哉のファンでうちわを何枚も買っていた。

全員のと木村先輩のを何枚も

私はそれが当時全然理解できなかった。

何故同じものを何枚も買うの??

今ならその心理はわかる。

ちなみに私は香取慎吾のうちわを買った。

今では友人にはSMAPのライブに連れて行ってくれたことに感謝しかない。

私にとって最初で最後のSMAPだった。

 

そして、中学生になった。

ウォーターボーイズ2が放送され、私は市原隼人の事が1番になり、少しジャニーズ離れする。

ここまでが私の亀梨和也に出会うまでのジャニーズの歴史である。

こうしてみると、ドラマの役でかっこいい、好き!と思うことが多いが、次のドラマが始まるとすぐにそっちに行き、ファンになるまでは定着していないことがわかる。

ただのお茶の間の視聴者であった。

しかし、物心がついた頃から、ジャニーズに触れて過ごしていた。