ktkjsnv6のブログ

KAT-TUNと関ジャニ∞とSnowManとV6をこよなく愛する人の話

ジャニーズとの出会い(亀梨和也に出会うまで)

ジャニーズに魅了されて、どれくらい経っただろうか?

今やジャニーズは私の生活で欠かせないものであり、生きる源である。

私のジャニーズの歴史はどんなものなのか、当時の感情や、思い、忘れたくない記憶などを記録しておきたいと思い、ブログに綴ることにした。

ただの自己満のブログである。

ちなみに今私はKAT-TUN関ジャニ∞Snow Man、そしてV6の応援をしている。

 

私が初めて憧れを抱いたのは、今から約23年前1996年だと思う。

当時5歳の私は、女の子が遊ぶようなおままごとが苦手で、男の子の友達と鉄棒したり外で遊ぶのが好きだった。

当然好きなキャラクターはセーラームーンとかではなく、戦隊モノばかり。

従兄弟が男が多いということもあり、ウルトラマンをよくみていた。

そして、その頃放送されていたウルトラマンこそがV6の長野くんが演じるウルトラマンティガだった。

ウルトラマンの中ではウルトラマンA(エース)が好きだったのに、ウルトラマンティガがかっこよくて、毎週見ていたのを覚えている。

とにかくかっこいい。

強いし、確か変身したら色が3色くらいパターンがある、当時としては珍しく新しいタイプのウルトラマンだった。

そして、その中に入っている人が当然ティガだと思っているので必然的に主人公役の長野くんもかっこいいと思っていたに違いない。

しかしながら、その頃ジャニーズの長野くんという認識は全くなく、ティガの人という印象しかなく、放送終了して心にずっと思っていたのはティガだったため、ちょっと違う気がする。

 

初めてジャニーズのアルバムを手にしたのは、

KinKi Kidsの『C album』である。

1999年8歳のクリスマスにサンタさんから届いた。

別にうちのサンタさんはKinKi Kidsのファンではなく、未だに何故そのアルバムが届いたのか謎である。

しかし、そのアルバムはめちゃくちゃ聞きまくった。

フラワーが特に好きで確か9曲目で毎回9から聞いていた気がする。

私のジャニーズソングデビューはKinKi Kidsであることがわかる。

しかしこちらもジャニーズとしての認識はまだしていなかった。

 

そして、ついに本格的に認識したのは、

2000年9歳の時に放送された『涙をふいて』

に出演していた嵐の二宮和也であった。

初めてテレビドラマを見たのも確かこのドラマで、

毎回号泣したのを覚えている。

そして、主題歌が『感謝カンゲキ雨嵐』で、

その曲が入っている嵐の1stアルバムをお年玉で買った。

今でも嵐で一番好きな曲は?と聞かれたら、

『感謝カンゲキ雨嵐』である。

テレビで今でも披露されたりするから、嬉しい。

そこから、好きな芸能人は二宮和也と答えるようになる。

特に行動にはおこさず、かっこいいな。と思うだけの日々。

そこから、『よい子の味方』を見て、櫻井翔に変わる。

小学生時代は基本的に嵐が好きだった。

 

初めてのジャニーズライブデビューは

2002年11歳SMAPの『SMAP '02 "Drink! Smap! Tour"』である。

友人とそのお母さんに連れて行ってもらった。

ライブというものが初めてだったし、テレビに出ている人を観れることに興奮したのを覚えている。

セトリなんて全然覚えていなかったけど、今見たら、めちゃくちゃ名曲劇場だ。

タイムスリップしてもう一度行きたい。

友人、友人の母、友人の母の友人(ややこしい)、私の4連で行ったのだが、

友人の母の友人が木村拓哉のファンでうちわを何枚も買っていた。

全員のと木村先輩のを何枚も

私はそれが当時全然理解できなかった。

何故同じものを何枚も買うの??

今ならその心理はわかる。

ちなみに私は香取慎吾のうちわを買った。

今では友人にはSMAPのライブに連れて行ってくれたことに感謝しかない。

私にとって最初で最後のSMAPだった。

 

そして、中学生になった。

ウォーターボーイズ2が放送され、私は市原隼人の事が1番になり、少しジャニーズ離れする。

ここまでが私の亀梨和也に出会うまでのジャニーズの歴史である。

こうしてみると、ドラマの役でかっこいい、好き!と思うことが多いが、次のドラマが始まるとすぐにそっちに行き、ファンになるまでは定着していないことがわかる。

ただのお茶の間の視聴者であった。

しかし、物心がついた頃から、ジャニーズに触れて過ごしていた。